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小柳範和

「小柳箪笥」4代目・伝統工芸士

明治40年(1907)に創業した「小柳箪笥」の4代目、小柳範和。彼が「型破りな職人でありたい」と話すとき、曾祖父の代から継承された越前箪笥の伝統と技術への、絶対的な自信が透けてみえる。「型を破る」とは、「型」を熟知し、使いこなす者だけが辿り着ける境地だからだ。19歳でこの果てのない家業の世界へ踏み込んだ小柳は、今、伝統を進化させる瞬間と向き合っている。

「先人が遺してくれた技や想いは、職人にとってかけがえのないもの。常に立ち戻る原点であり、安心感を与えてくれます。しかし今までの伝統をいかしつつ、積み上げてきた経験をもとに、新たな伝統を作っていかなければ。今後、技術を伝えていくことすら難しいでしょう。大きな幹から生えた枝が、やがて次の幹となり新たな枝をつけていくのと同じ。日本の「道」文化に欠かせない「守破離」という言葉を、日々意識して制作しています」

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小柳が生みだすのは、木の美しい艶と鉄の飾り金具の重厚さが、格式あるコントラストを見せる越前箪笥。釘などの接合道具を一切使わずに、木と木の組み合わせだけで作る指物(さしもの)と呼ばれる技術や、からくり細工がふんだんに使われている。江戸後期より婚礼道具や家宝として、大切に作られ、使われてきた福井県が誇る工芸品だ。

「家宝とは、つまり家族にとってお守りのようなもの。越前箪笥は100年、200年と使い続けられますので、購入した人が先立った後も、長く家族のことを見守る存在です。箪笥を通して、先祖の想いや、生きていた手触りを感じることができる。そんな家宝になるかどうかは、作り手と使い手、両方の気持ちが込められているかによります。師匠には、よく「魂を込めて作りなさい」と言われました。いい素材を使い、手間暇をかけ技術を駆使するのは、伝統の看板を背負う上で当たり前。やはり、気持ちがなくては。越前箪笥はフルオーダーの「あつらえもの」なので、使い手の顔を思い浮かべながら「ものだけでなく、家族の思い出や絆を作っているんだ」と思って臨んでいます」

実際、OYANAGIで彼が目指しているのも、対話から生まれるもの作り。シグニチャーラインをカスタマイズできるメイド・トゥ・オーダーモデルに加え、フルオーダーできるビスポークモデルも揃えている。使い手の暮らしに合わせ設計したうえで、長い人生のパートナーとして愛着を持ってもらうには、どうしたらいいのだろう。

「例えば福井県、越前市にある私たちの工房にお越しになり、好きな木目を選んだり、鉋(かんな)がけ等の作業の一部を手伝って頂いてもいいと思います。仕上げは、きちんと私たちが行いますので。もの作りに参加したり、ものが作られる風景を見ることで、より愛着を持って使ってもらえたら嬉しい。制作中、金具を蚕の綿で焼くときに立ち上る粘り気のある煙を見ているときなど、私でも「まるで儀式だ」と思う瞬間がたくさんあります。是非産地へいらして、たくさんの発見をしてもらいたいです」

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産地である越前市を巡ることは、越前箪笥の歴史を理解するうえでも重要だ。かつて越の国の国府が置かれ人々が行き交った越前市は、経済都市となるにつれ、豊かな芸術文化が花開いていった。桐が周辺に多く育っていたため木材を使った指物、漆の文化はもちろん、仏壇の生産地ゆえに金具鍛冶も盛ん。これら越前箪笥に不可欠な工芸のプロたちが集まっていたのだから、越前箪笥が誕生するのも必然だったのかもしれない。

「越前市ほど、様々な暮らしの道具が作られている産地はなかったでしょう。自然と歴史、文化があったからこそ、伝統工芸を育て、愛でる土壌が生まれた。子どもたちには、この街を誇りに思ってもらいたいです。いわば、越前市のヘリテージが、越前箪笥に凝縮されている。例えば、越前箪笥で使われる猪目という飾り金具の意匠は魔除けの役目があり、今も街の仏閣で見ることができますよ。そこで考えるのは、私の後継者だけではなく、産地全体に伝統を残していくために今なにができるのか。「ヘリテージ」という言葉の重みを理解してくれる鈴木啓太さんと一緒にOYANAGIで挑戦できることに、とてもワクワクしているところです」

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